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学びの舞台「対馬」
○対馬の概要
 対馬は、九州本土と朝鮮半島の間に飛び石的に位置する国境離島です。南北82km、東西約18kmと縦長で、面積は約708k㎡で日本の離島の中で3番目に大きな離島です。
 平成16年3月に6町(上対馬・上県・峰・豊玉・美津島・厳原)が対馬市として合併し、1島1市になりました。現在、人口は3万4千人、世帯数は1万5千世帯です。

○対馬の自然
 対馬は、森里海が連環する自然環境を有しています。全島の約89%が森林で、ほとんどは薪炭利用されていた里山ですが、龍良山、白嶽や御嶽などの原始の照葉樹林が残っています。特徴的な地形も多くあり、海食崖やリアス式海岸などの海岸景観に優れ、海岸部を中心に、国定公園に指定されています。
 かつては大陸と日本本土を結ぶ「陸橋」であり、ツシマヤマネコ(国内希少野生動植物種。絶滅危惧ⅠA類)をはじめとする大陸系の種、ツシマテンなどの日本系の種、カヤネズミなどの共通系の種、ツシマサンショウウオなどの対馬固有の種が混在し、生物地理学や進化生物学など学術的にも極めて重要な島です。朝鮮半島と九州の間に飛び石のように浮かぶ対馬は、渡り鳥の中継地であり、日本でみられる野鳥の半数以上が対馬で確認できるため、有数の野鳥観察地となっています。「自然の恵み」という視点では、森林や水産資源なども豊富に存在します。地球環境問題への解決の糸口として生物資源の持続可能な利用が世界中で注目され始めていますが、まさに、対馬は生物資源の宝庫であり、世界の最先端が活動できる潜在性を有しているといえます。

○対馬の歴史、文化
 大陸と九州の間に位置する対馬は、文化の十字路として役目を果たしてきました。はるか縄文の時代から、対馬の人々は海のネットワークを活用し、ダイナミックに行動していたことが遺跡の出土品で明らかになっています。
 対馬を介した大陸からの人とモノの移動により、石器文化、青銅器文化、水田稲作、仏教、漢字、など様々な文化が日本に伝来したといわれており、日本の基層文化を探る上で対馬は欠かすことができない地域となっています。さらに国防の島であったことから、歴史的遺構も多く、防人時代の古代山城「金田城」や対馬藩時代の藩船係留場「お船江」などが現存しています。
 また、地域の暮らしに目をむけると、山の斜面を利用した伝統的焼畑農法である木庭作(こばさく)、原種に近いソバや在来種の豆の栽培、磯の資源採取を行う海女漁など、島という限られた地域の自然を持続的に活用する伝統的な知恵と技術が残っています。

○対馬の産業
 産業別の就業人口比率をみると、第1次産業の割合が22%であり、3次産業が66%と高くなっています。
 対馬暖流が対馬で二分されて対馬の両側で北流し格好の漁場を形成しており、第1次産業の中で漁業(イカや鯛、ブリ、サザエ、アワビ、ヒジキ、真珠等)は77%の割合であり、対馬の主要な産業です。
 陸に目を向けると、対馬の89%を森林が占めており、素材やしいたけ、木炭等生産等、全国離島の中では林業が盛んな島です。一方、耕作面積が約1%と生産性の高い平地が乏しく、稲作、対州そばや甘藷、アスパラガス等の畑作が行われていますが、食糧自給率は低く、農作物の不足分を島外に頼っています。対馬は食糧不足に悩まされてきたため、土地を巧みに利用し、山の斜面では木庭作が戦後まで行われてきました。
 担い手不足や高齢化、資源減少、魚価の低迷、燃料高騰等の理由により、昭和55(1980)年には5,900人いた漁業就業者は、平成22(2010)年には2,600人にまで減少しています。同様に、農業や林業就業者についても減少しており、特に離農は著しい状況です。なお、第3次産業の就業者は、11,000人(昭和55年)から10,200人(平成22年)とやや減少していますが、観光客の増加等を背景に、産業別の比率では、47.5%から65.9%と増加しています。平成25(2013)年において韓国人観光客は18万人を超え、飲食や宿泊、交通など観光関連サービスの雇用が増加しています。
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